在日コリアンに関する仏ル・モンド紙の総力特集

2017年3月に、フランスで最も権威ある新聞ル・モンドにて、まるまる3ページにわたって、日本で暮らす在日コリアン朝鮮学校の状況に関する特集が載ったようです(記事原文はこちら)。

最近になって、この記事のためにインタビューを受けたとある方から、「フランス語で書かれていて内容をまだ読めていないから、訳してほしい」と言われたので、日本語に全訳しました。

そしてせっかくなので、その要約をこのブログにも載せたいと思います。

 

いくつか事実関係の間違い(朝鮮籍=北朝鮮国籍とするなど)も含んでいるようですが、しかしここまで紙面を割いて海外(この場合は日本)のエスニック・マイノリティ(民族的少数者)の事例を特集するなんて、とても意欲的でクールですね。

日本の新聞も、3ページ丸ごと使って、「フランスのユダヤ人特集!」「イギリスのイスラーム教徒特集!」とか載せて欲しいものです。

 

内容に関してですが、日本の新聞などとはまた違う視点から書かれていて、「フランス人はこういうところに関心があるのか!」という発見もあります。

例えば、日本の新聞では「極右の市民団体」などと紹介されることの多い在特会ですが、この記事では、「定期的にコリアンタウンを行進する極右の自警団」と表現されていて、「確かにその通り…」と感心させられます。

 

そして、在特会とは「在日は特権(privilèges)を持っている」と主張する組織である、と説明した直後に、在日コリアンは、「在特会によって特別な(privilégié)標的にされている」と書いています。

在日コリアンは特権をもって得しているどころか、実際にはむしろ差別の対象として苦しめられている、ということを、言葉遊び的なユーモア、皮肉によって表現しているわけですね。

 

他にも、日本社会のことを「民族的な純粋性の神話に執着する社会」とバッサリ批判しているのは、すごいですね。日本の新聞は、とにかく表面上中立で、無色透明な記述を好みがちなので、はっきりと価値判断をするこういう批判的な書き方は、フランスの新聞らしいですね。

 

私は在日コリアンの歴史や現状について不勉強なので、勉強になることも多かったです。それでは以下、本文要約です。ちょっと長いですよ!

 


日本のコリアンたちのジレンマ

(元記事:Guillaume Loiret, “Le dilemme des Coréens du Japon“, le Monde, 

 

――50万人もの人びとによって構成された、日本の最大のマイノリティ。彼らは長期にわたって排除され、自分たちの内向きの教育システムに閉じこもってきた。そして今日、彼らは自分たちのルーツに対する誇りと、社会に統合されたいという願いの間で揺れ動く――

 

チ・ヤンはこれまで、飛行機に乗ったことも、14年前に自分が生まれたこの日本の地を離れたことも一度もない。しかし二日後、彼女にとって重大な日が訪れる。彼女は合唱クラスの仲間たちと、海外に出発するのだ。そのため、今日というこの最後の金曜日は、彼女にとってとても長く感じられた。しかし大阪・生野区のこの中学校の他の生徒にとっては、ただの普通の金曜日だ。教室には同じ制服と上履きを身に着けた24人の男女の生徒がいて、みんなとてもおとなしい子たちだ。日本の他の中学校と全く同じ光景だ。

 

――しかし唯一違う点がある。歴史の授業の時に、皆が朝鮮語を話すということだ。教科書は朝鮮半島の綴り方であるハングルによって書かれている。その140ページ目を開くと、北朝鮮の経済活動に関する記述と、微笑んだ金正日の写真があった。

昼食が済むと、生徒たちは先生を取り囲むように座り、革命歌を歌い始めた。晴れやかな表情の子供たちに囲まれる姿に描かれた、壁にかけられた肖像画の金日成の目の前に、彼らはいる。もうすぐ午後五時だ、チャイムが鳴って、チ・ヤンは帰宅し、そして出発の荷造りを終えるだろう。二日後、それは待ちに待った日だ。――彼女は平壌に旅立つ。

 

コリアンの主要な集住地域、大阪

朝鮮民主主義人民共和国と最悪の関係の日本という国にある、奇妙な学校、奇妙な生徒旅行。チ・ヤンの中学校は普通の学校ではない。コリアンのコミュニティ専用の学校だ。50万人の在外公民と30万人の帰化人、彼らは日本の最大のマイノリティだ。

チ・ヤンの父であるリ・チャンスも、東京の北朝鮮系の大学(朝鮮大学校)に通う前は、娘と同じ学校で学んでいた。彼は現在、北朝鮮政府と密接な関係にあるコミュニティ組織である、朝鮮総連の幹部を務める。朝鮮総連は、北朝鮮系の家族の子どもたちが多く通う、これらの特殊な学校を運営している。

 

リの一家は、日本の第三の都市であり、コリアンの主要な集住地域でもある、大阪に住んでいる。この集住地域は、日本による朝鮮半島の植民地支配期(1910-1945)において、200万人の移住者、侵略被害者、国外退去を余儀なくされた者たちによって形成された。日本の降伏の後は、多くの者が帰路に着いたが、四分の一ほどは定住することになった。彼らは「在日」(日本に留まった者)と呼ばれている。

しかしその直後、朝鮮は二つに分割され、在日は北か南か、国籍の選択を迫られることとなった。多くのものは、社会主義的な信念と、アメリカ人と同盟関係になった韓国に対する拒絶と、彼らの生活をより困難なものにした日本に対する軽蔑とが入り混じる選択として、北を選んだ。そうして彼らは、国籍上、彼らが直接知らなかった、そしてその後も知ることのなかった国の、市民となった。日本は彼らに対して容赦せず、彼らに対する職業的制約を増加させ、市民権を奪い、苗字を日本化することを推進した。

 

差別と軽蔑を受ける中、かつての植民地宗主国の中心において、在日たちは彼らの独自のシステムを生み出してきた。彼らの存在を望まないこの国において、彼らは自分たちのための地区、自分たちの銀行、自分たちの会社を作り上げることとなる。――そして、自分たちのための学校も。

「朝鮮学校では、学修課程は公立学校のものと同じだが、自分たちがどこから来た人々で、在日とはどういう存在であるのか、ということについても生徒たちに教えている」と愛知県立大学の山本かほり教授は語る。山本氏は、長年研究している大阪の朝鮮学校に関して専門的な知識を持っており、朝鮮学校の悪い評判を掻き立てるような大衆世論における批判を、バッサリと否定する。

 

これまで、確かに北朝鮮政府と密接な関係にあり、そして今日も、他の学校とは用いられる言語が異なっている。ここでは朝鮮語が話されているが、それはもちろん、偉大なる統率者(金正日)や偉大なる指導者(金日成)についての悪口を言うためではない。

 

「歴史の科目を除けば、用いられている教科書は同じものだ。歴史の教科書では、1910年の日本による朝鮮の植民地化、そして朝鮮民主主義人民共和国の歴史および在日の状況が強調されている」。

社会学者の山本にとって、朝鮮学校に関する主要な問題点とは、彼らの偽りのプロパガンダなどではなく、朝鮮学校の未来についてである。というのも、朝鮮学校は経営破たんへと向かいつつある。日本の学校における公的な資金調達は、地方補助金(予算の10%から20%を占める)と、家庭に直接的に支給される国家給費金(高校生一人当たり、年間に12万円)の組み合わせによって賄われている。

しかしながら2013年に安倍晋三内閣が発足して以来、北朝鮮政府からの挑発行為に対する報復として、政府はこの分配金を奪い去り、47都道府県に対して、その補助金の「適切な使用を確認」するよう促した。大阪の場合では、2011年から資金援助を打ち切り、チ・ヤンの通う学校は、公的資金に一円たりとも頼ることはできなくなった。その今にも破たんしそうな予算は、学費と、コリアンコミュニティの寛大さと、北朝鮮政府の(象徴的な)寛大さによってなんとか賄われている。

 

近隣の朝鮮初等学校(小学校)では、悲嘆とともに校長のリ・アン氏が廊下を歩き回っている。後者の壁面の補強工事は言うまでもなく、ペンキの塗り直しも必要だろう。地震に耐えることなんてとても不可能だ。音楽室も図書館も、近隣住民の寄付によるものだ。「学費が値上がりしていて、もう支払えない家族もおり、教師たちは三年前から給料を受け取っていない」。

予算がひっ迫する以前から、朝鮮学校離れは進んできた。1960年代には小学校から大学まで計4万5千人の生徒のために、500か所もの朝鮮学校が存在していたが、今では在日コリアンの若者全体の10%以下の人数である計約8千人の生徒を受け容れる70か所しか残っていない。というのも、朝鮮学校へ通うにはお金がかかるからだ。チ・ヤンのような中学生の場合は年間で20万円かかり、高校の学費はその二倍である上、しかも卒業しても日本の大学の入学資格とはならない。そのため、在日の多くの家族が、無料の公立学校を選択するようになった。「政府による攻撃は何も生み出さない。私たちは諦めない。私たちは自分自身のアイデンティティのために闘う!」元ボクサーのリ・アン氏は語気を強めた。

 

今日、朝鮮学校への補助金の停止が起きている。しかしかつては、名誉棄損と軽蔑と、警察による嫌がらせが起きていた。民族的な純粋性の神話に執着する日本社会において、在日コリアンは常に、その差異に起因する被害をこうむってきた。現在の日本社会は、朝鮮民主主義人民共和国による衛星もしくはミサイルの打ち上げのたびに、また、核開発計画が一歩進められるたびに、激しい反発が起こるという、日本政府と北朝鮮政府のカオスな関係性によって特徴づけられている。

「私たちは常に二級市民であったため、一つ一つの権利を勝ち取ってきた」。コリアNGOセンターとともに、カク・チヌンはあらゆる闘いを記憶している。身分証のための指紋捺印義務の撤廃について、公務員職へのアクセスについて、民族的侮蔑による抑圧について…。アクテイビストの彼がポジティブなのは、日本とそこに住むマイノリティたちの間で、改善されてきた様々なものごとを、彼はしっかりと見てきたからだ。

 

在日に対する差別

しかし差別は生活習慣の中に確かに根付いている。在日コリアンへの軽蔑は、日本人によって広く共有された感情として残存しており、カク氏は「在日コリアンは、仕事を探す際に、同僚に本名や出自を隠すように求められる」とため息をつく。「2006年の核実験とミサイル発射以降、激しい緊張がある」と彼は続ける。

在特会(在日特権を許さない市民の会)が出現するのはまさにこの年である。彼らは、「朝鮮人は首を吊れ」などと叫びながら、定期的に「コリアンタウン」を行進する極右の自警団である。朝鮮学校は特に彼らの標的となり、電話による殺害予告は日常的なものとなっている。生徒たちは侮辱を受け、しばしば襲撃もされている。

 

2月12日、フロリダにて安倍晋三がドナルド・トランプと会談した際に、北朝鮮は新たな弾道ミサイルを日本に向けて発射した。安倍首相はこれを「断固許しがたい」行為と表現した。それ以降も、3月6日には他に四基のミサイルが打ち上げられ、そのうち3基は日本海に撃ち込まれた。このエスカレートは緊張関係を悪化させうるものである。チ・ヤンの学校も警戒状態にある。朝は警察車両が学校の前をパトロールし、生徒たちは授業後に集団下校する。

日本最大(2万5千人)のコリアン地区である生野では、人々は敵意の中で暮らすことに慣れている。1930年代にチ・ヤンの祖父母が到着し荷を下ろしたのは、ちょうど彼女の中学校の100メートル後方の場所である。彼らは他の人々と同様に、平野運河に沿って建てられたトタン屋根の下ですし詰めになり、珍しく彼らを雇ってくれた工場で、疲労困憊になりながら働いた。

『血と骨』(1998)が語る話はこうだ。主人公は安い給料のためにつらい仕事を行い、失業手当も社会扶助も受けられない。この著者のヤン・ソギルは、この地区のもっとも有名な在日コリアンのひとりとなった。

 

北朝鮮の現在の指導者の母親は、在日コリアン

近隣出身のもう一人のとある人物の存在が、この地区に暗い影を落としている。しかし、ここでは誰も、コの一家の話をしたがらない。長女のヨンヒは、1960年代に平壌に向けて出航する前は、生野で生まれ育った。このダンサーは後に平壌で金正日のお気に入りとなり、彼女は二人の息子を授かったのだが、そのうちの一人が金正恩である。この公然の秘密がまさに意味しているのは、北朝鮮の現在の指導者の母親は在日コリアンであり、そのことは複雑な感情を掻き立てうるものである、ということだ。

 

今日では、この集住地区はリスペクトされる場所となっている。地下鉄鶴橋駅を取り囲む屋根付きの細い路地の迷路に溢れかえる焼き肉屋を超え、さらに奥へ踏み込む日本人は例え少ないとしても。さらに奥には、歴史的な「コリアンタウン」が花開いている。それは一方は運河まで、他方はK-POPのアイドルグッズの商店がキムチの真っ赤な陳列台に続いて位置する、商店の多い御幸通りまでわたって広がる、彼らの記憶の場である。

 

プ・ヨンゴンは肉きり包丁を一瞬下ろし、朝鮮学校について以下のように言及した。「朝鮮学校がもう公的補助を得られないということは、私たちは税金を払っているにもかかわらず、そのことの恩恵を得ていないということだ。日本政府と北朝鮮政府の間で何かが険悪になるたびに、子供たちについて、恐怖を覚える。二か国の関係性が、私たちの生活に直接的な影響を及ぼしている」。

 

隣の店のキョンジャは怒っている。彼女は屈辱の63年間を、こぶしを握りしめながら早口で一つ一つ並べ立てた。ある朝、キョンジャは純白のチマチョゴリ(朝鮮の伝統的ドレス)を着て母親が家を出ていくのを見た。そして彼女はその夜、帰ってきた母親が、近隣の日本人によって「朝鮮の犬」呼ばわりされ、灰と墨を投げつけられて汚されている姿を見た。――だから彼女は仕立て屋になったのだ。「私たちのドレスは、憎悪と差別を一手に集める。だからこそ、それを着よう。誇りをもって」。

 

より若いヒロは、こうした過去に対して、また別のやり方で向き合っている。彼は長い間、出自を隠し、日本名を用いながら、自分のアイデンティティを否定してきた。しかし20歳の時に、彼は精神的に限界を迎えた。彼はソウルに旅立ち、朝鮮語を学んだ。「『僕は本当の意味でここ出身ではないし、本当の意味であそこ出身でもない。僕は在日なんだ』と悟った」。言語を守っていくこと、過去を認識すること、再統一された朝鮮半島が見たいという希望、それらはコミュニティを強固にする礎となる。

 

コントラストに溢れた、非均質なマイノリティ

だからこそ、生野の人々は、日本で暮らすコリアンたちの(危険な)組織である朝鮮総連によって行われた最初の戦いの指導者たちを尊敬しているのだ。1960年代に独自の教育システムを設立し、ナショナル・アイデンティティの強固な感情によって在日コリアン同士を結びつけたのは、スパイの巣窟だと考えられていた、東京の朝鮮民主主義人民共和国の公式の大使館だった。

 

東京の同組織の本部の小さな部屋で、同胞の歴史に関して饒舌に語ってくれたオ・ギュサンは、朝鮮総連の年長メンバーだ。彼は以下のように述べている。「朝鮮学校の運営者および教員の全員が、朝鮮大学校および朝鮮学校の出身者だ。そして今日もなお、朝鮮学校を管理運営しているの私たちだ」。

彼は、北朝鮮政府が朝鮮学校に対して行ってきた、50年間で4億5千万円にのぼる経済支援を、今日でも受け取っていることをみとめた。また、朝鮮総連が現在勢いを失いつつあることは残念であると述べた。時代が変われば、政治的風習も変わる。1960年代には在日コリアンの大多数は朝鮮総連に属していたが、今日では、むしろ韓国政府と近しく、追い風に乗る韓国民団がその大きなライバルとなっている。

 

日本で暮らすコリアンたちは、コントラストと矛盾に溢れた、非均質なマイノリティを形作している。今日ではその大多数が、北朝鮮の政治体制の逸脱を遺憾に思っているが、しかしながら、これまで長期にわたってそうであったように、ほかの国ではなく、唯一北朝鮮のみに親近感を抱きつづけている者も多くいる。仮に北朝鮮に生きてたどり着くことはできないとしても、ある者たちはそこへ旅立つだろう。

皆、多かれ少なかれ、アイデンティティ、そして国籍に関する葛藤を抱いている。ある者たちは今なお、誇りをもって朝鮮籍(4万人)を誇示し、そして大多数の者たちは、多くのことがより円滑に進められる韓国のパスポート(46万人)を選択する。日本国籍への帰化は、かつては恥だとされたが、今日では迅速に(年間1万人)進んでおり、日本政府もそれを後押ししている。

 

カク・チヌンも妻のミュンエも、あえて自分たちの国籍を捨てようとは思わない。しかしながら、畳の上に座ってテーブルに自分たちの身分証を置くと、そこからアイデンティティのもつれ、行政の抱える難題が明らかになる。

夫のチヌンは韓国人であり、在留許可証をもっており、妻のミュンエは北朝鮮と記載された滞在許可証と、パスポートを持っている。彼らの二人の子ども、チヒョン(6歳)とミヨン(9歳)については、両親は彼らを韓国籍にすることを選んだ。「彼らの未来のためには、彼らを帰化させないほうがよいのかどうか、それは後からわかることだ」。

朝鮮民主主義人民共和国に対して愛着を持っている他のすべての人々と同様に、ミョンエは特別な許可なしでは、容易に日本を離れることはできない。彼女は人生で三回しか飛行機に乗ったことはない。――新婚旅行でタイに、旅行客として韓国に、そして親友を訪ねて平壌に。

 

――「私はあそこに家族はいないけど…でも、とても気のいい人たちがいるし、それにたくさんの高層ビルがある!」。

二日後、チ・ヤンにとって重大な日が訪れる。彼女は興奮して、平壌について知っていること、すなわち歴史の教科書で見た写真と、彼女の二人の姉が語る思い出とが入り混じったイメージを話す。

チ・ヤンのアッパ(パパ)とオンマ(ママ)は、彼らの身分証明書を用いて渡航が可能な唯一の目的地である、北朝鮮への奇妙な旅行を何度もしてきた。もしも休暇で外国のどの国にでも行ける自由があるのならばどこへ行きたいか、彼らに尋ねた。母は思い切って、「私は韓国に行きたい」と言った。すると父はこう言った。「でもそれは外国じゃないよ…。僕はアメリカに行ってみたいな!」